年末まであと数日の、しかも、早朝に、何書いてるんだ?
という感じですが、最近の生活パターンとしては、こんなへんな時間にしか、
まとまった自分の時間がもてないこともあり、私としては、これが「フツー」
なんですが、メールとかの返信の時間に「ぎょっと」とされることも(笑)
以前は、寝かしつけたあと、自分のことやっていたんですが・・・
こちらも、うとうとしたあと、起きて、さらに、また、寝るというのは
精神的にもあまり楽しくないし、この際、しばらく早寝早起きにシフト
してしまおうと思い、Kちゃんと共に寝、朝方ゴソゴソ派になりました。
生活サイクルが変わると、いろいろみえるものも違うような・・
そういう意味では、この「変化」が、今年最大の変化だったかもしれません。
元々そんなにみない方だったけど、ますますテレビはみなくなり、PCも毎日
あけることがなくなり(最近、少し復活基調ですが)、細切れに用を済ます
ことが上手になり、気持ちの切り替えが以前より、早くなりました(と思う)
食べ物も、食べ方も、さらにシンプルになってきて、おいしいものといえば
おいしい素材のものを、おいしい塩やみそで戴くという方向へ、シフト。
(おいしい素材であれば、切るだけ、煮込むだけでも、私でも
それなりの料理「らしく」なるのがスゴイ!!ありがたや~)
今年は、会う人に「顔色いいね~」「肌きれいになったね」と言われる
ことが増えて、すっかり気をよくしてるのだけど(みんな褒め上手♪♪♪)
もし、そうだとしたら、たぶん、新たに何かをした、ということではなく
余計なことをしなくなった、ということのほうが、効果があったかも、、
と思います。
気付いたら、余計なことまでずいぶんやってた気もするし・・
いったん、省いてみたら、いらなかったことも多かったし・・
(スキンケアに関しては、やってみて、そう思います)
何より、早寝するようになって、睡眠の質も大きく変わった気がします。
いろいろ考えてしまって、結果、眠れなくても、夜の10時くらいには
寝てるので、肌が作られるといわれるゴールデンタイムには、睡眠中。
一日、二日、というスパンではなく、それが重なっていくことを思うと
効率よく眠れたほうがいいし、質が高いほうがいいわけで。Kちゃんの
おかげで、しっかり「早寝早起き」が身についたことについて、改めて
感謝感謝だと思ってます。
(あと、Kちゃんが赤ちゃんの時は、夜まとまって寝れなかったし・・
今、顔色がよくみえるのは、単に「激動」の一年をすぎたから、その
反動とか、比較で、そうみえるだけかもしれません。笑)
---------
おっと、話が大きくそれましたが・・・・・
今年は、どんな年だったんだろ?と思い返す時、以前の私だと何となく
「その年にあったイベント」を中心に思い返してることが多かった気が
するのですが、今年は、ちょっと、違う見方をしてる気がします。
もちろん、それなりのイベントはありました。
めいっぱいチャレンジしたはずが、残念な結果に終わってしまったことは
今でもやはり心残りですが、全然違うレベルで、こうなってしまったから
思ったことは、今後の大きな糧になると思える見方ができるようになり
そういう意味では、十分、得るものはあった気がします。
もちろん、結果が出なければ、変えられないこともあります。でも、
長期的にみれば、私の人生には、これはこれで必要なことだったんだな
少したってみて、見方がかわって、そう思えるようになりました。
子育ても、そして、インコズとのかかわりについても、しかり。
毎日の日常は、ほんとはそれ自体が、とても幸せで、心地よいものなのに
普段は「足りないもの」「うまくいってないもの」に、つい目が行きがちで
いろいろ、不満に思ってたり、するわけですが・・
(それはそれで、そういうものかもしれませんが)
何かのきっかけで、日常自体が「幸せ」であることに気付くと、そこに
深い感謝が沸いてくるというか。これまでみてた世界が、実は、もっと
カラフルで、感動に満ちてたことに、気付かされれた気がするんですよね。
何かがあったから、幸せ、というのではなく、幸せは、心の状態であって
いつでも、どこでも、何に対してでも幸せでいられるし、どういう状況に
おいてでも、イベント自体は選べなくても、受け取り方は選べるわけで・・
本で読んだり、人から聞いたり、それなりに、その定義について知る
きっかけはあったのでしょうが、そういう感覚が、ようやく、私自身
理解することができるようになった、そんな年になった、気がします。
それでも、不満がなくなることはないし、常にハッピーでいられてる訳
ではないんですが、戻るべき地点を知ってるというだけでも、ずいぶん、
平和な心を保てるようになるもんだと、驚いているところです。
--------
当初、書こうとしてた内容とは、大きく乖離しましたが・・・
(いま、いったい、私はどこにいる。笑)
事実は変えられないことも多いけど、それを、どう受け止め、
どう考えていくかは、常に選べるし、事実を、ありのままに
ただ、受け入れることも、必要なことなんだと痛感しました。
当たり前のことであるのに、いままで、できてなかったな、とも。
--------
来年は、どんな年にしよう?
昨年思ってた計画が、見事に、計画倒れになってしまったので
(例年よりも、そういう意味では、「見事」でしたの^^;)
計画をたてるのも、何だか、躊躇してしまわなくもないけど
何かにチャレンジできること自体、とても、幸せだし・・
あまり、小さくなりすぎず、思うがまま、やっていけたらいいな
なんて思ってます。対外的には結果がすべて、だと思うのですが
結果は、あくまで、私の人生の経過でしかないわけで・・・
いいタイミングで、いちばんいいことがおきるはずと、
元気を出して、来年を迎えられたらいいなと、おもったり。
何を書きたかったんだか、書いてる本人が、すっかり分からなく
なってきましたが、これはこれでいいことにしようと思います。
読んでくださった方(がいらしたら・・)
最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございます。
何か少しでも感じていただけるものがありましたらうれしいですし
それより何より、皆様の来年が、よりよき年になりますように♪♪
それでは、また。
2010年12月14日火曜日
テテのことで私たちができることを考える
実は、テテの調子が、あまりよくありません。
最初、テテの調子が悪いことを、とにかく、受け入れられませんでした。
頭が真っ白になりましたし、嘘だといいのにとも、思いました。
何か、策がないか、どうしたら、それを治せるのか?
それと同時に、もっと、早い段階で、気付いてあげられなかったなんて
と、たっていられないほど、自責の念にかられました。後悔しました。
------
選択肢として、手術をすることも候補に挙がりました。
手術と名が付く限り、基本的に100%保障というのは、ないと思います。
特に、相手が36gしかない(今は、もっと、少ないと思いますが)テテに
メスをいれるリスクを思うと、その後に、パーフェクトな世界が待ってる
可能性があるとしても、どうしても、それを決断できませんでした。
何か決めるときは、最悪のこと、最高のこと、そして、読みどおりのところ
何パターンか、シュミレーションしてみるのですが、今回、最高のことと
仮に、最悪のことの確率が同じだったとしても???
確率は、あくまで、確率でしかないこと。
今回、いちばん大切なのは、それが、テテにとって、どうなるのか
ということだけだったので、やはり、踏み切れなかったのです。
でも、最終手段として「手術が成功すれば、元気になれる(かも)」と
思ってしまうと、ほんとにこれでいいのか、と、さらに、悩みましたし
徐々に、衰弱していくであろう、テテを見守ることは、とても辛いこと
でもあるわけで、どうしたら、テテにとって、ベストなんだろう???
何だか、頭の中が、完全にパニックになってしまっていたのだと思います。
ですが、問題は、手術をするとか、しないとか、よりも・・・
もっと、根本にあったのでは。という、ことだったのです(と思うのです)
------
昨日、いつも言っている、鍼灸師さんのところに行く機会がありました。
ふと、とあることを思い出し、鍼灸師の先生に、テテのことを相談して
みました(相談というより、「聞いてもらえませんか?」と)
その鍼灸師の先生のお母様は、前に、全身のリンパ腫で亡くなられていた
らしいのですが、亡くなる前日まで、普通どおり生活されて、亡くなる時も
すとんと、眠るように逝かれたという話を、聞いていたからです。
先生は、テテのことを、一通り聞いたあと・・・
「人も、動物も、死のうとしてる人の邪魔をしたら、いかん」と一言。
先生に言わせると、本人が「生きたい」気持ちがあれば、それが勝ることも
十分あるけど、体が死に逝く時は、ゴハンが食べられなくなるし、それで
いいのだ。そこを、鎮痛剤、栄養剤で、ムリに生かせいてしまうので、
死のうとしても死に切れず、本当に苦しいまま、生きることになるんだ、と。
もちろん、これは、先生の意見です。
でも、これまでの周囲の人のこと、インコズたちのこと、いろんなことを
思い出してみて、何だか、私の中では、強く合点がいく気がして・・・
大泣きしてしまったのです。
--------
ルチも、一時期、痛み止めを飲んでいたことがあります。痛みを感じない
ことで、落ちていた食欲が戻り、結果、回復しましたので、その利用が
すべてダメだとは思いませんが、リューマチめいた症状の緩和の為の処方
でしたが、ある日、飲むのを激しく拒否するようになりました。
もう、痛みがなくなっていたというのは、ある意味、正解ですが、痛いと
思われていた、箇所が、完全に、麻痺していたからだったようです。
(痛い感触とともに、その場をかばうということをしてたようですが
痛みを感じないことで、体力を戻し、結果、その箇所を知らずに酷使
その足の一部の神経だけ、死に至らせた、ということかもしれません)
ルチの場合、それを超えてもらえたから、そこから、二年近くも
生きてくれたわけですが、自分の祖父母のことを思い出しても
終期医療、緩和ケア、よかれと思って、何より生きてて欲しいと家族が
思うことは、しごく当然のことだけど、それだけが正しいわけでは
ないかもしれない、などということも、深く考えさせられたのです)
-----
話は、ちと、脱線しましたが・・・
現在の医学のよって、生きようという選択肢を、サポートしてくれる方法が
たくさん選べるようになりました。昔なら、助からないといわれた命ですら、
助かるようになりました。
そのすべてが、ダメだとか、いけないとか、そうは、全く思いませんが
先生が言ってるように、本当は、人が死ぬ時は、病死でも、老衰でも、事故でも
あるタイミングまでのケアは、してもらえるにこしたことはないけど、そこから
先の「生かすだけ=死なないだけ、という医療」は、必要なのか?と思ったり。
鎮痛剤も、痛みだけ、麻痺させてても、衰え行く体とのバランスを崩すから
ほんとは、ぜんぜん、飲まないほうが、実は、いちばん楽に逝けるんだよ
というのが、すごく耳に残っているのですが・・・
最後に「Kannaさんが、自分たちでできることを、めいっぱいして、
そして、あなたたちの手の中で、逝かせてあげられたらいいんじゃない?」
と言ってもらって、さらに、号泣してしまったのでありました。
万が一、手術をするために、私たちから隔離され、そこで、死んでしまったと
したら、テテも、私たちも、ずっとずっと後悔することになると思うので。
--------
本当のところで、テテが、今の状況をどうとらえているのかは、分かりません。
体はだるいでしょうし、ごはんも、食べれなくなりつつあることを、テテなりに
「異変」として、感じてないわけはないと思うし、自分の中では、残された時間
を、どこかで、わかっているのかもしれない、とすら、思うこともあります。
でも、私たちが、テテと一緒にいられる時間を、大切に大切に過ごすと決意を
新たにして以降、テテは、とても、穏やかで、嬉しそうな顔をしています。
テテのあと、キキがやってきて、Kちゃんが生まれて・・・
毎日、毎日、お祭りのように、バタバタと、うるさい毎日を、テテなりに
楽しんでくれてる(面もある)と、思ってはいましたが、もともとは、
一人っ子のテテですもの。もっと、もっと、甘えたかったかもしれないし
今は、特別待遇で、時間みては、私や夫が、いそいそとやってくるので
何より、その気持ちが、ストレートに嬉しく思ってくれてるのかもしれません。
テテちゃん、これまで、それ以前のように、ずっと一緒にいてあげられなくて
それを、サポートできてなくて、本当にごめんなさい。
ということと・・・
何より、毎日、テテが元気に、ニコニコして、私たちをみつめてくれることが
こんなにも幸せで、嬉しいことだったなんて。改めて、テテに感謝しています。
あとどのくらい、一緒にいれるかは、わかりません。
でも、テテがしたいようにしてくれればいいと思っています。
私たちは、テテから、もう、一生分以上に余りあるくらい、テテがいる
ことで、嬉しく思うことの、プレゼントはいただいてるのですから。
それから、もう少し、できれば、もっと長く(←本音)私たちと
一緒にいさせてくれるなら、もっともっと嬉しいのですが・・・
一日、一時間、一分が、とてもいとおしいです。
ほんと、うちの子になってくれて、ありがとう。
最初、テテの調子が悪いことを、とにかく、受け入れられませんでした。
頭が真っ白になりましたし、嘘だといいのにとも、思いました。
何か、策がないか、どうしたら、それを治せるのか?
それと同時に、もっと、早い段階で、気付いてあげられなかったなんて
と、たっていられないほど、自責の念にかられました。後悔しました。
------
選択肢として、手術をすることも候補に挙がりました。
手術と名が付く限り、基本的に100%保障というのは、ないと思います。
特に、相手が36gしかない(今は、もっと、少ないと思いますが)テテに
メスをいれるリスクを思うと、その後に、パーフェクトな世界が待ってる
可能性があるとしても、どうしても、それを決断できませんでした。
何か決めるときは、最悪のこと、最高のこと、そして、読みどおりのところ
何パターンか、シュミレーションしてみるのですが、今回、最高のことと
仮に、最悪のことの確率が同じだったとしても???
確率は、あくまで、確率でしかないこと。
今回、いちばん大切なのは、それが、テテにとって、どうなるのか
ということだけだったので、やはり、踏み切れなかったのです。
でも、最終手段として「手術が成功すれば、元気になれる(かも)」と
思ってしまうと、ほんとにこれでいいのか、と、さらに、悩みましたし
徐々に、衰弱していくであろう、テテを見守ることは、とても辛いこと
でもあるわけで、どうしたら、テテにとって、ベストなんだろう???
何だか、頭の中が、完全にパニックになってしまっていたのだと思います。
ですが、問題は、手術をするとか、しないとか、よりも・・・
もっと、根本にあったのでは。という、ことだったのです(と思うのです)
------
昨日、いつも言っている、鍼灸師さんのところに行く機会がありました。
ふと、とあることを思い出し、鍼灸師の先生に、テテのことを相談して
みました(相談というより、「聞いてもらえませんか?」と)
その鍼灸師の先生のお母様は、前に、全身のリンパ腫で亡くなられていた
らしいのですが、亡くなる前日まで、普通どおり生活されて、亡くなる時も
すとんと、眠るように逝かれたという話を、聞いていたからです。
先生は、テテのことを、一通り聞いたあと・・・
「人も、動物も、死のうとしてる人の邪魔をしたら、いかん」と一言。
先生に言わせると、本人が「生きたい」気持ちがあれば、それが勝ることも
十分あるけど、体が死に逝く時は、ゴハンが食べられなくなるし、それで
いいのだ。そこを、鎮痛剤、栄養剤で、ムリに生かせいてしまうので、
死のうとしても死に切れず、本当に苦しいまま、生きることになるんだ、と。
もちろん、これは、先生の意見です。
でも、これまでの周囲の人のこと、インコズたちのこと、いろんなことを
思い出してみて、何だか、私の中では、強く合点がいく気がして・・・
大泣きしてしまったのです。
--------
ルチも、一時期、痛み止めを飲んでいたことがあります。痛みを感じない
ことで、落ちていた食欲が戻り、結果、回復しましたので、その利用が
すべてダメだとは思いませんが、リューマチめいた症状の緩和の為の処方
でしたが、ある日、飲むのを激しく拒否するようになりました。
もう、痛みがなくなっていたというのは、ある意味、正解ですが、痛いと
思われていた、箇所が、完全に、麻痺していたからだったようです。
(痛い感触とともに、その場をかばうということをしてたようですが
痛みを感じないことで、体力を戻し、結果、その箇所を知らずに酷使
その足の一部の神経だけ、死に至らせた、ということかもしれません)
ルチの場合、それを超えてもらえたから、そこから、二年近くも
生きてくれたわけですが、自分の祖父母のことを思い出しても
終期医療、緩和ケア、よかれと思って、何より生きてて欲しいと家族が
思うことは、しごく当然のことだけど、それだけが正しいわけでは
ないかもしれない、などということも、深く考えさせられたのです)
-----
話は、ちと、脱線しましたが・・・
現在の医学のよって、生きようという選択肢を、サポートしてくれる方法が
たくさん選べるようになりました。昔なら、助からないといわれた命ですら、
助かるようになりました。
そのすべてが、ダメだとか、いけないとか、そうは、全く思いませんが
先生が言ってるように、本当は、人が死ぬ時は、病死でも、老衰でも、事故でも
あるタイミングまでのケアは、してもらえるにこしたことはないけど、そこから
先の「生かすだけ=死なないだけ、という医療」は、必要なのか?と思ったり。
鎮痛剤も、痛みだけ、麻痺させてても、衰え行く体とのバランスを崩すから
ほんとは、ぜんぜん、飲まないほうが、実は、いちばん楽に逝けるんだよ
というのが、すごく耳に残っているのですが・・・
最後に「Kannaさんが、自分たちでできることを、めいっぱいして、
そして、あなたたちの手の中で、逝かせてあげられたらいいんじゃない?」
と言ってもらって、さらに、号泣してしまったのでありました。
万が一、手術をするために、私たちから隔離され、そこで、死んでしまったと
したら、テテも、私たちも、ずっとずっと後悔することになると思うので。
--------
本当のところで、テテが、今の状況をどうとらえているのかは、分かりません。
体はだるいでしょうし、ごはんも、食べれなくなりつつあることを、テテなりに
「異変」として、感じてないわけはないと思うし、自分の中では、残された時間
を、どこかで、わかっているのかもしれない、とすら、思うこともあります。
でも、私たちが、テテと一緒にいられる時間を、大切に大切に過ごすと決意を
新たにして以降、テテは、とても、穏やかで、嬉しそうな顔をしています。
テテのあと、キキがやってきて、Kちゃんが生まれて・・・
毎日、毎日、お祭りのように、バタバタと、うるさい毎日を、テテなりに
楽しんでくれてる(面もある)と、思ってはいましたが、もともとは、
一人っ子のテテですもの。もっと、もっと、甘えたかったかもしれないし
今は、特別待遇で、時間みては、私や夫が、いそいそとやってくるので
何より、その気持ちが、ストレートに嬉しく思ってくれてるのかもしれません。
テテちゃん、これまで、それ以前のように、ずっと一緒にいてあげられなくて
それを、サポートできてなくて、本当にごめんなさい。
ということと・・・
何より、毎日、テテが元気に、ニコニコして、私たちをみつめてくれることが
こんなにも幸せで、嬉しいことだったなんて。改めて、テテに感謝しています。
あとどのくらい、一緒にいれるかは、わかりません。
でも、テテがしたいようにしてくれればいいと思っています。
私たちは、テテから、もう、一生分以上に余りあるくらい、テテがいる
ことで、嬉しく思うことの、プレゼントはいただいてるのですから。
それから、もう少し、できれば、もっと長く(←本音)私たちと
一緒にいさせてくれるなら、もっともっと嬉しいのですが・・・
一日、一時間、一分が、とてもいとおしいです。
ほんと、うちの子になってくれて、ありがとう。
2010年12月12日日曜日
白ネコちゃんの話の続き
一つ前に「年末の挨拶」風なことを書いてしまいましたが
また、ひとつ、書かせてもらおうと思います。
---------
先月、白ネコちゃんの話を書きましたが・・・
実は、あの白ネコちゃは、野良ではなかったのです。
亡くなった日から、ほぼ2ヶ月経過した、今日。
実家の母が、自治会の集まりに参加しました。その席で、顔は知ってる
ものの、そんなに近くには住んでないGさんが、周囲の人たちに・・・
「うちの、白ネコちゃんを知らないか?」と問いかけていたそうです。
母を知る、別の方が、「もしかすると、〇さん(実家の苗字)の前で
亡くなってしまってた、あのネコちゃんではないか?」と、思い
Gさんに、その話をし、その後、Gさんと母で話をしたところ・・・
例の白ネコちゃんだったことが、判明したそうです。
-----
聞けば、2ヶ月前(亡くなる少し前)のある日、ぷいっと出て
いき、そのまま行方知らずになっていたので、自分たちなりに
ずっとずっと探していたそうです。
高齢だったし、その出て行く前あたりから、歩行もおかしかったし
半分、みつかるのは諦めかけていたけど、このまま分からないのは
と、思っていたそうです。
で、思いもよらぬところから、〇さんちと、我が家(実家)の話に
なり、所在と、最期、そして、両親がお世話をしたことなど・・
おそらく、お世話をしてきた飼い主さんにとっては、ずいぶん辛い内容も
含まれていたかもしれませんが、Gさん、そして、Gさんの家族は、
「それでも、最期を知ることができてよかった。〇さんありがとう」と、
今日の夕方、わざわざ、手土産を持って、お礼に来てらっしゃいました。
-------
やっぱり、あの毛並みは、野良ではなかったのね、と両親とも話して
いましたが思い出したように、実家の庭で、るっちゃんを観察してるし
ほんの近所には、白ネコちゃんを飼ってる人、知ってる人もいなかったし
なので、飼い猫さんを知らない=野良?と思ってしまったんですよね。
実際、話を聞き、距離を考えてみると(直線距離だと、そう遠くもない)
そうかもしれないと、合点がいくこと多く、うなづいてばかりでしたが
実際、ご近所のネコ(飼い猫さんも含め)を、すべて把握してることは
ないし、何かのトラブルで、こうやって迷い込んだりしても・・・
飼い主さんまで、話がいかない事も、少なくないのかもしれません。
先方は、間接的に、るっちゃんのことは、ご存知だった
ようで(実家の情報は、もれてたんですねぇ。笑)
「そのインコちゃんに会いに行ってるとは、知らなかった。悪さは
しませんでしたか?」など、今日は、そういう話もしたらしいです。
--------
こういう話自体、よくあること、かもしれませんが・・・
いつも思うことには、タイミングよく、私は、その場に居合わせる
ことが多いこと(間接的にでも、ルチに通じる話の場にいてしまう)
そして、そのタイミングが、何だか、とても「らしいな」というタイミングで
起こるように感じることが多く、ただ、とても、不思議なものを感じてます。
どこかで「ルチにふれていたい」と、いまだ、思い続けてることが
何らかの形になって、やってきてるのかなと、思うくらいで・・・
願えばかなう、とか、ひきよせの話とか、そういう話も、私のこうした
日常レベルでも、起こってるようにすら思うわけなので、たとえば・・
今、心配してることについても、その解決策は、どういう形であれ
ちゃんと「すとん」と、降りてくるタイミングがあるかもしれません。
(その心配してる内容については、またの機に)
--------
平和や、健康は、日常的にあることが、最高の幸せなんだけど
なかなか、それを実感し、感謝し続けることは、難しく・・
残念ながら、それが脅かされたときに、初めて気付いたり、その
価値を思い出したりするもんなんだな、などと思う、この頃ですが
みなさんと、そして、みなさんの周囲が、平和で、
健康であることを、心より願いつつ。
何の宗教を信仰してるわけではないのですが・・・
今日は、そんな気持ちで、眠りにつけたらと思っています。
では
(今日のネタは、いつも以上に、さらっと読み飛ばしてくださいね)
また、ひとつ、書かせてもらおうと思います。
---------
先月、白ネコちゃんの話を書きましたが・・・
実は、あの白ネコちゃは、野良ではなかったのです。
亡くなった日から、ほぼ2ヶ月経過した、今日。
実家の母が、自治会の集まりに参加しました。その席で、顔は知ってる
ものの、そんなに近くには住んでないGさんが、周囲の人たちに・・・
「うちの、白ネコちゃんを知らないか?」と問いかけていたそうです。
母を知る、別の方が、「もしかすると、〇さん(実家の苗字)の前で
亡くなってしまってた、あのネコちゃんではないか?」と、思い
Gさんに、その話をし、その後、Gさんと母で話をしたところ・・・
例の白ネコちゃんだったことが、判明したそうです。
-----
聞けば、2ヶ月前(亡くなる少し前)のある日、ぷいっと出て
いき、そのまま行方知らずになっていたので、自分たちなりに
ずっとずっと探していたそうです。
高齢だったし、その出て行く前あたりから、歩行もおかしかったし
半分、みつかるのは諦めかけていたけど、このまま分からないのは
と、思っていたそうです。
で、思いもよらぬところから、〇さんちと、我が家(実家)の話に
なり、所在と、最期、そして、両親がお世話をしたことなど・・
おそらく、お世話をしてきた飼い主さんにとっては、ずいぶん辛い内容も
含まれていたかもしれませんが、Gさん、そして、Gさんの家族は、
「それでも、最期を知ることができてよかった。〇さんありがとう」と、
今日の夕方、わざわざ、手土産を持って、お礼に来てらっしゃいました。
-------
やっぱり、あの毛並みは、野良ではなかったのね、と両親とも話して
いましたが思い出したように、実家の庭で、るっちゃんを観察してるし
ほんの近所には、白ネコちゃんを飼ってる人、知ってる人もいなかったし
なので、飼い猫さんを知らない=野良?と思ってしまったんですよね。
実際、話を聞き、距離を考えてみると(直線距離だと、そう遠くもない)
そうかもしれないと、合点がいくこと多く、うなづいてばかりでしたが
実際、ご近所のネコ(飼い猫さんも含め)を、すべて把握してることは
ないし、何かのトラブルで、こうやって迷い込んだりしても・・・
飼い主さんまで、話がいかない事も、少なくないのかもしれません。
先方は、間接的に、るっちゃんのことは、ご存知だった
ようで(実家の情報は、もれてたんですねぇ。笑)
「そのインコちゃんに会いに行ってるとは、知らなかった。悪さは
しませんでしたか?」など、今日は、そういう話もしたらしいです。
--------
こういう話自体、よくあること、かもしれませんが・・・
いつも思うことには、タイミングよく、私は、その場に居合わせる
ことが多いこと(間接的にでも、ルチに通じる話の場にいてしまう)
そして、そのタイミングが、何だか、とても「らしいな」というタイミングで
起こるように感じることが多く、ただ、とても、不思議なものを感じてます。
どこかで「ルチにふれていたい」と、いまだ、思い続けてることが
何らかの形になって、やってきてるのかなと、思うくらいで・・・
願えばかなう、とか、ひきよせの話とか、そういう話も、私のこうした
日常レベルでも、起こってるようにすら思うわけなので、たとえば・・
今、心配してることについても、その解決策は、どういう形であれ
ちゃんと「すとん」と、降りてくるタイミングがあるかもしれません。
(その心配してる内容については、またの機に)
--------
平和や、健康は、日常的にあることが、最高の幸せなんだけど
なかなか、それを実感し、感謝し続けることは、難しく・・
残念ながら、それが脅かされたときに、初めて気付いたり、その
価値を思い出したりするもんなんだな、などと思う、この頃ですが
みなさんと、そして、みなさんの周囲が、平和で、
健康であることを、心より願いつつ。
何の宗教を信仰してるわけではないのですが・・・
今日は、そんな気持ちで、眠りにつけたらと思っています。
では
(今日のネタは、いつも以上に、さらっと読み飛ばしてくださいね)
2010年12月11日土曜日
2年たってみて・・・
今日で、るっちゃんが、天国へ旅立って、2年になります。
生まれた日、お迎えした日、亡くなった日、など、いろんなメモリアルが
あると思うのですが、この日は、私たちの結婚記念日とは、半年ちがい、
私が、るっちゃんによく歌っていた曲にあったように、木曜日だった為
私の中では、るっちゃんのメモリアルの中でも、特別に何か意味が
ある日、というような気がするので、不思議なものです。
-------
なくなってから、数ヶ月は、頭のねじが、数本以上外れたままだったし
事実を、本当にありのまま受け止めるには、思った以上に、時間も必要
だったような気がするし、浮かんでは消え、消えては浮かぶ・・
いろんな、思いに、頭が、いっぱいいっぱいだった気がします。
それから2年。
るっちゃんが、その誕生を、待っててくれた(と私は思っているのですが)、
Kちゃんも2才になり、いろいろ知ってる単語で、話もできるようになり
(その「自己主張の様」が、どことなく、るっちゃんに似てるんだけど^^;)
テテも、キキも、そして、私たち人間も、それ分年をとりました。
2年って、長いな。すごい、時間だな。
というくらい、私の人生の中で、いろんなことを思った、単位でした。
今、いろいろな意味で、過渡期にあるような、気がしてます。
そういうとき、最近思うのは「事実は変えられないけど、それに対して
どう考えるかというのは、常に選択できる自由がある」ということ。
もちろん、反省ではなく、ただ、ひたすら、後悔にとらわれることもあります。
事実をねじまげて、憶測と、心配で、がんじがらめになることもあります。
と思えば、楽天的に考えすぎて、抜けだらけになってしまうこともあります。
でも・・・
るっちゃんと出会えて、そして、今、るっちゃんのことを思うとき、私自身、
明らかに「変わったな」と思えるところもあり(年をとったせいかもですが)
るっちゃんに教えてもらった、いろんなことが、今の私を支えてくれている
と思えるようになりました。
-----
宗教学の話みたいですが・・・
最近、シンクロするかのように、「肉体は滅びても精神は滅びぬ」的な話を
読む機会が続きました。実際のところ、死んだことがないので、真実はナゾ
ですが、以前のように「わからない」とだけ思うのではなく・・・
ある意味、遺伝子というレベルでは、子孫が続く限り、生き延びていける
という、そういう話から、魂というか、たとえ、人の記憶の中でだけで
あったとしても、私の中で、るっちゃんは、生き続けている・・
何だか、そう思えるようになってきました。
もちろん、科学的に言うと、ナンセンスな話かもしれません。
でも、何か、迷ったとき、心の中に聞ける人(人ではないにせよ)
そういうポジションとしては、いつも一緒にいる気すらするのです。
不思議だなぁ。何なんだろうな、と、ただただ、思ってみたり。
-----
こんなことを、つい、書いてしまったのも・・・
今、心配してることと、無関係ではないかもしれません。
昨日、休みをとってくれた、夫とともに、実家にある、るっちゃんのお墓に
参ってきました。いろいろと、神頼みならぬ、ルチ頼み、したいたいことが
あったのですが・・・私の中に、浮かんだことは、その心配事だけ。
ルチが、神様ではなく、ルチである以上、私の願いは、聞き届けるのではなく
ただただ「聞いてやってるっぴ」というだけかしれません。でも、私が
こういう気持ちで、お願いできるのは、るっちゃんだけだったので・・
つい、それだけを、願って、しまったのかな。
もし、そういう「ツテ」があるようなら、よかったら、神様に
よろしく伝えておいてね。と、いつもいつも、たずねてみたり
お願いしてばかりで、頼りない、元お世話係だけど・・・
いつの日か、また、私も、天国へいけるとしたら、特別カキカキを
ルチに、存分にさせてもらえる日を、楽しみにしています。
「お願い」の分は、そのときに、さらに弾みますので・・
どうぞ、よろしくね。
-----
何だか、いつもにまして、まとまらない文になりましたが・・・
こんなすみっこブログを、読んでくださってる皆様、ほんとうに
ありがとうございます。皆様の、来年が、よい年になりますよう
少し早いですが・・・
お祈り申し上げます。
では
生まれた日、お迎えした日、亡くなった日、など、いろんなメモリアルが
あると思うのですが、この日は、私たちの結婚記念日とは、半年ちがい、
私が、るっちゃんによく歌っていた曲にあったように、木曜日だった為
私の中では、るっちゃんのメモリアルの中でも、特別に何か意味が
ある日、というような気がするので、不思議なものです。
-------
なくなってから、数ヶ月は、頭のねじが、数本以上外れたままだったし
事実を、本当にありのまま受け止めるには、思った以上に、時間も必要
だったような気がするし、浮かんでは消え、消えては浮かぶ・・
いろんな、思いに、頭が、いっぱいいっぱいだった気がします。
それから2年。
るっちゃんが、その誕生を、待っててくれた(と私は思っているのですが)、
Kちゃんも2才になり、いろいろ知ってる単語で、話もできるようになり
(その「自己主張の様」が、どことなく、るっちゃんに似てるんだけど^^;)
テテも、キキも、そして、私たち人間も、それ分年をとりました。
2年って、長いな。すごい、時間だな。
というくらい、私の人生の中で、いろんなことを思った、単位でした。
今、いろいろな意味で、過渡期にあるような、気がしてます。
そういうとき、最近思うのは「事実は変えられないけど、それに対して
どう考えるかというのは、常に選択できる自由がある」ということ。
もちろん、反省ではなく、ただ、ひたすら、後悔にとらわれることもあります。
事実をねじまげて、憶測と、心配で、がんじがらめになることもあります。
と思えば、楽天的に考えすぎて、抜けだらけになってしまうこともあります。
でも・・・
るっちゃんと出会えて、そして、今、るっちゃんのことを思うとき、私自身、
明らかに「変わったな」と思えるところもあり(年をとったせいかもですが)
るっちゃんに教えてもらった、いろんなことが、今の私を支えてくれている
と思えるようになりました。
-----
宗教学の話みたいですが・・・
最近、シンクロするかのように、「肉体は滅びても精神は滅びぬ」的な話を
読む機会が続きました。実際のところ、死んだことがないので、真実はナゾ
ですが、以前のように「わからない」とだけ思うのではなく・・・
ある意味、遺伝子というレベルでは、子孫が続く限り、生き延びていける
という、そういう話から、魂というか、たとえ、人の記憶の中でだけで
あったとしても、私の中で、るっちゃんは、生き続けている・・
何だか、そう思えるようになってきました。
もちろん、科学的に言うと、ナンセンスな話かもしれません。
でも、何か、迷ったとき、心の中に聞ける人(人ではないにせよ)
そういうポジションとしては、いつも一緒にいる気すらするのです。
不思議だなぁ。何なんだろうな、と、ただただ、思ってみたり。
-----
こんなことを、つい、書いてしまったのも・・・
今、心配してることと、無関係ではないかもしれません。
昨日、休みをとってくれた、夫とともに、実家にある、るっちゃんのお墓に
参ってきました。いろいろと、神頼みならぬ、ルチ頼み、したいたいことが
あったのですが・・・私の中に、浮かんだことは、その心配事だけ。
ルチが、神様ではなく、ルチである以上、私の願いは、聞き届けるのではなく
ただただ「聞いてやってるっぴ」というだけかしれません。でも、私が
こういう気持ちで、お願いできるのは、るっちゃんだけだったので・・
つい、それだけを、願って、しまったのかな。
もし、そういう「ツテ」があるようなら、よかったら、神様に
よろしく伝えておいてね。と、いつもいつも、たずねてみたり
お願いしてばかりで、頼りない、元お世話係だけど・・・
いつの日か、また、私も、天国へいけるとしたら、特別カキカキを
ルチに、存分にさせてもらえる日を、楽しみにしています。
「お願い」の分は、そのときに、さらに弾みますので・・
どうぞ、よろしくね。
-----
何だか、いつもにまして、まとまらない文になりましたが・・・
こんなすみっこブログを、読んでくださってる皆様、ほんとうに
ありがとうございます。皆様の、来年が、よい年になりますよう
少し早いですが・・・
お祈り申し上げます。
では
2010年12月4日土曜日
周囲を見渡すと・・・
大して、深い意味はないのですが・・・
何となく、最近思うことが、続けておこってる気がして
こんなヒトリゴトもかいてみていいかなと、思ったので
この場をお借りして、こっそりと書いてみます(笑)
最近、私の周囲では、何となく「小休止」してる人が多い気がします。
ずっと続けてやってきた、仕事を、やめてしまった人、休んでる人
(でも、完全に離れてる訳ではなく、仕事の仕方が変わったとかも)
英語がいちばんキライ(苦手)と言ってた友人が、回りまわって
国際結婚し、海外に住むことになった人、転職した人、退職した人
いろいろと、数年前からみると、ここ一年くらいの動きが違うというか
何と言うか、ちょっと疲れが出てきてみたり、生き方を変えてみたり
自分の意思そのものより、体に、その合図が出たり、家族に出たり
今って、そういう微妙な年齢線にいるのかも、とも思ったりしてます。
私自身は、出産、育児と、これまでとはガラリと違う生活に、入り
その中で、「今できること」を、コツコツやってきてみたのですが
これまでのように、しようと思えば、100%自分のためだけに使う
時間&労力があるわけもなく、かといって、1日は24時間しかなくって
じゃ、どうすれば、今思ってることが、要領よくやれるだろうと
思ったり、すぱっとあきらめたり、細かいことを気にしなくなったり
外面からみるより、私自身の、内面の変化は大きかったとおもうけど
何となく、最近思うことが、続けておこってる気がして
こんなヒトリゴトもかいてみていいかなと、思ったので
この場をお借りして、こっそりと書いてみます(笑)
最近、私の周囲では、何となく「小休止」してる人が多い気がします。
ずっと続けてやってきた、仕事を、やめてしまった人、休んでる人
(でも、完全に離れてる訳ではなく、仕事の仕方が変わったとかも)
英語がいちばんキライ(苦手)と言ってた友人が、回りまわって
国際結婚し、海外に住むことになった人、転職した人、退職した人
いろいろと、数年前からみると、ここ一年くらいの動きが違うというか
何と言うか、ちょっと疲れが出てきてみたり、生き方を変えてみたり
自分の意思そのものより、体に、その合図が出たり、家族に出たり
今って、そういう微妙な年齢線にいるのかも、とも思ったりしてます。
私自身は、出産、育児と、これまでとはガラリと違う生活に、入り
その中で、「今できること」を、コツコツやってきてみたのですが
これまでのように、しようと思えば、100%自分のためだけに使う
時間&労力があるわけもなく、かといって、1日は24時間しかなくって
じゃ、どうすれば、今思ってることが、要領よくやれるだろうと
思ったり、すぱっとあきらめたり、細かいことを気にしなくなったり
外面からみるより、私自身の、内面の変化は大きかったとおもうけど
2010年11月18日木曜日
白ネコちゃんの話
偶然と言ってしまえば、そうかもしれませんが・・
何か、ご縁というか、心を打つ一件があったので
ここに、こっそり、書いておこうと思います。
-----------
ひと月ほど前。ちょうど、私の誕生日の翌日、母から
「最近、白ネコちゃん見た?」と、唐突に聞かれました。
聞けば、その日の朝、うちの家と道路の堺に、白ネコちゃんの亡骸が
あったそう。遺体をみた、両親の話だと、たぶん、自動車だろう、と。
その白ネコちゃんは、実は、るっちゃんの「心の恋人」でした。
るっちゃんを、窓越しにながめ、真っ赤なベロを、ちらっと出し
まさしく「食べちゃいたい」って優雅に、ほほ笑むのです。
普通、食べられてしまっては困るので、逃げたり、隠れたりすると
思うのですが、るっちゃんは、その「食べちゃいたい」の意味が
わかってなかったらしく、まるで、一目ぼれのように、大喜び。
窓にへばりついて、ぎゃっ!って、大興奮してたことを思い出します。
まあ、ルチの人生(鳥生)に、食べる、食べられる、という関係は
皆無だったので、危機管理がなってなくても、仕方ないかもですが
それにしても、白ネコちゃんに恋するなんて、ねえ(-_-;)
と、家族中から、反対されていた、そんな関係でした。
---------
ルチに、何かあってはいけないと、ノートに、うちにくるネコちゃん
たちの模様と、相関関係をメモして、取締りをしていた、父でしたが
(↑も、はたからみたら、おかしいでしょ?父は真剣でしたよ。笑)
確かに、ルチの恋した、白ネコちゃんは、他のネコちゃんとは何か
大きく違うネコでした。ずっと前、母の実家にいた、じゅんちゃんと
似てるような、そういうネコらしからぬ面もあるようだったし・・・
(じゅんちゃんは、祖母の看護ができる、優秀なにゃンコでした)
何とも言えない、優雅な雰囲気や、たたずまいがあって・・・
父ですら「あの娘に恋するまでは、しかたない」とまで言うくらい。
ルチとの、純愛は、たぶん、数年以上続いていたと思います。
-------
で、時は流れ、ルチが亡くなってからというのもの、ぱったり
我が家に姿をみせなくなりました。どうも、毛並みから、白ネコ
ちゃんの娘っぽい、子猫をみることはありましたが・・・
本人=白ネコちゃん、を、見ることはなく、どうしたのかな?
やっぱり、るっちゃんに会いに来てたのかな?などと、家族で
話をしていたんですが・・・
私は、今年の夏の終わりに、一度だけ、会うことができました。
その会った、数日前に、母から・・・
「白ネコちゃんを数年ぶりにみたんだけど・・
あんなにやせてしまって。もう、長くないかもね」
と聞いていたので、一目見て、すぐ、あの白ネコちゃんだと
分かりました。白ネコちゃんも私に覚えがあったのか・・・
じーっと数分もみつめたまま、何か話したそうな、そんな感じで
でも、立ってるのもやっとな、白ネコちゃんは、そのうち、
よろよろと、歩いて去っていってしまいました。
できれば、なでなでしたかったし、もっと、
みつめていたかったのだけど・・
何か、そういう理屈ではないような、気配がありました。
私は、何のお世話もできてないんだけど、わざわざ
挨拶に来てくれたような、そんな雰囲気で・・・
みただけで、涙がどっとあふれてきました。
--------
それから、一ヶ月ちょっとすぎた、10月中旬。
冒頭の話に至るわけです。
なんとなくですが・・・
我が家のニャンコになりたかったんだろうな、と思う
ような倒れ方で、なくなっていたのにも涙でしたし
でも、そこは一線をひいて、というか、野良猫ちゃんたちの
美学とか、生き方とかがあって、完全に敷地には入りきれない
本当に境界線ギリギリに、倒れていた話を聞いて・・・
何ともいえない気持ちになりました。
種が違うけど、天国で、ルチと仲良くしてあげてね。
と、手をあわせた、私だったのでした。
何か、ご縁というか、心を打つ一件があったので
ここに、こっそり、書いておこうと思います。
-----------
ひと月ほど前。ちょうど、私の誕生日の翌日、母から
「最近、白ネコちゃん見た?」と、唐突に聞かれました。
聞けば、その日の朝、うちの家と道路の堺に、白ネコちゃんの亡骸が
あったそう。遺体をみた、両親の話だと、たぶん、自動車だろう、と。
その白ネコちゃんは、実は、るっちゃんの「心の恋人」でした。
るっちゃんを、窓越しにながめ、真っ赤なベロを、ちらっと出し
まさしく「食べちゃいたい」って優雅に、ほほ笑むのです。
普通、食べられてしまっては困るので、逃げたり、隠れたりすると
思うのですが、るっちゃんは、その「食べちゃいたい」の意味が
わかってなかったらしく、まるで、一目ぼれのように、大喜び。
窓にへばりついて、ぎゃっ!って、大興奮してたことを思い出します。
まあ、ルチの人生(鳥生)に、食べる、食べられる、という関係は
皆無だったので、危機管理がなってなくても、仕方ないかもですが
それにしても、白ネコちゃんに恋するなんて、ねえ(-_-;)
と、家族中から、反対されていた、そんな関係でした。
---------
ルチに、何かあってはいけないと、ノートに、うちにくるネコちゃん
たちの模様と、相関関係をメモして、取締りをしていた、父でしたが
(↑も、はたからみたら、おかしいでしょ?父は真剣でしたよ。笑)
確かに、ルチの恋した、白ネコちゃんは、他のネコちゃんとは何か
大きく違うネコでした。ずっと前、母の実家にいた、じゅんちゃんと
似てるような、そういうネコらしからぬ面もあるようだったし・・・
(じゅんちゃんは、祖母の看護ができる、優秀なにゃンコでした)
何とも言えない、優雅な雰囲気や、たたずまいがあって・・・
父ですら「あの娘に恋するまでは、しかたない」とまで言うくらい。
ルチとの、純愛は、たぶん、数年以上続いていたと思います。
-------
で、時は流れ、ルチが亡くなってからというのもの、ぱったり
我が家に姿をみせなくなりました。どうも、毛並みから、白ネコ
ちゃんの娘っぽい、子猫をみることはありましたが・・・
本人=白ネコちゃん、を、見ることはなく、どうしたのかな?
やっぱり、るっちゃんに会いに来てたのかな?などと、家族で
話をしていたんですが・・・
私は、今年の夏の終わりに、一度だけ、会うことができました。
その会った、数日前に、母から・・・
「白ネコちゃんを数年ぶりにみたんだけど・・
あんなにやせてしまって。もう、長くないかもね」
と聞いていたので、一目見て、すぐ、あの白ネコちゃんだと
分かりました。白ネコちゃんも私に覚えがあったのか・・・
じーっと数分もみつめたまま、何か話したそうな、そんな感じで
でも、立ってるのもやっとな、白ネコちゃんは、そのうち、
よろよろと、歩いて去っていってしまいました。
できれば、なでなでしたかったし、もっと、
みつめていたかったのだけど・・
何か、そういう理屈ではないような、気配がありました。
私は、何のお世話もできてないんだけど、わざわざ
挨拶に来てくれたような、そんな雰囲気で・・・
みただけで、涙がどっとあふれてきました。
--------
それから、一ヶ月ちょっとすぎた、10月中旬。
冒頭の話に至るわけです。
なんとなくですが・・・
我が家のニャンコになりたかったんだろうな、と思う
ような倒れ方で、なくなっていたのにも涙でしたし
でも、そこは一線をひいて、というか、野良猫ちゃんたちの
美学とか、生き方とかがあって、完全に敷地には入りきれない
本当に境界線ギリギリに、倒れていた話を聞いて・・・
何ともいえない気持ちになりました。
種が違うけど、天国で、ルチと仲良くしてあげてね。
と、手をあわせた、私だったのでした。
2010年3月13日土曜日
16歳のバースデー
るっちゃん、天国生活には、そろそろ慣れましたか?
ママは、毎日、育児&お世話(テテ&キキ)の、お世話に
追われつつ、少しずつ、ペースを取り戻しつつあるところ
です。実家国の、じじもばばも、元気だよ。
実家の家庭菜園のそばにある、ハコベをいただくときとか
るっちゃんのお墓を通ってるから、わざわざ書かなくても、
ほとんどのことは知ってるかもしれないけど・・・
私は、るっちゃんの様子を知ることができないので、
やっぱり、こうやって書いてしまってる訳です(笑)
----------
----------
今日は、本当のところは、分からないけど・・・
私が決めた、るっちゃんの16回目のバースデーです。
るっちゃんと出会って、もう、そんなにたったんだなぁ
って、一人しみじみしたり、いろいろ思った、日でした。
そういえば、私の好きな、行正り香さんのところの、ぴーちゃんが
なんと、もうすぐ20歳を迎えるとの記事を読んで、ほんと、自分の
ことのように、嬉しくなりました。ほんとうに、とても嬉しいです。
(ぴーちゃんは、女の子コザクラインコちゃんです)
(行正り香さんのブログは、こちら)
また、先日、るっちゃんを通じて知り合った、女の子コザクラインコ
ちゃんの、お友達も、もうすぐ14歳になるらしく、また、嬉しい限り。
季節柄もあるのか、知っている、インコちゃんが亡くなったと聞くと
どうしていいかわからなくなるほど動揺し、涙したりするものですが・・・
元気です、って聞くと、嬉しくなる、そんなお友達が増えたのも
るっちゃんいて、そして、ブログを始め何とか続いてるからかな
なんてことも、考えてみたりしてました。
まぁ・・・・・・・・
欲張った話をするなら、るっちゃんも、もっともっと、長生きできたら
もっともっと、もっと・・・・・よかったのにな、ってことも思ったり。
(こう思う気持ちは、たぶん、ずっと消えないものかもしれません)
でも、自分が生きてる限り、自分の心の中で、ずっと生きててくれる
ということも、ようやく、何となく、分かる気がしてきました。
るっちゃん。
私に、いろんなことを、たくさん教えてくれて、どうもありがとう。
これからも、私の心の中で、ずっと、一緒に過ごしていこうね。
---------
↓は、2008年の3月の写真
(ルチ14歳のバースデー付近の写真です)


まだ、お世話の量が足りてないのか・・・
テテもキキも、少しは、カキカキさせてくれるようになったけど、
まだまだ、るっちゃんみたく、トロントロンに、とろける顔には
なってくれないけど、昨年より、少しは、進展ありかもよ(^^
よかったら、テテ&キキにも「カキカキは、気持ちいいっぴよ」
って、ことを、テレパシーとかで、伝えといてちょうだいね。
どうぞ、よろしく。
では、またね。
ママは、毎日、育児&お世話(テテ&キキ)の、お世話に
追われつつ、少しずつ、ペースを取り戻しつつあるところ
です。実家国の、じじもばばも、元気だよ。
実家の家庭菜園のそばにある、ハコベをいただくときとか
るっちゃんのお墓を通ってるから、わざわざ書かなくても、
ほとんどのことは知ってるかもしれないけど・・・
私は、るっちゃんの様子を知ることができないので、
やっぱり、こうやって書いてしまってる訳です(笑)
----------
----------
今日は、本当のところは、分からないけど・・・
私が決めた、るっちゃんの16回目のバースデーです。
るっちゃんと出会って、もう、そんなにたったんだなぁ
って、一人しみじみしたり、いろいろ思った、日でした。
そういえば、私の好きな、行正り香さんのところの、ぴーちゃんが
なんと、もうすぐ20歳を迎えるとの記事を読んで、ほんと、自分の
ことのように、嬉しくなりました。ほんとうに、とても嬉しいです。
(ぴーちゃんは、女の子コザクラインコちゃんです)
(行正り香さんのブログは、こちら)
また、先日、るっちゃんを通じて知り合った、女の子コザクラインコ
ちゃんの、お友達も、もうすぐ14歳になるらしく、また、嬉しい限り。
季節柄もあるのか、知っている、インコちゃんが亡くなったと聞くと
どうしていいかわからなくなるほど動揺し、涙したりするものですが・・・
元気です、って聞くと、嬉しくなる、そんなお友達が増えたのも
るっちゃんいて、そして、ブログを始め何とか続いてるからかな
なんてことも、考えてみたりしてました。
まぁ・・・・・・・・
欲張った話をするなら、るっちゃんも、もっともっと、長生きできたら
もっともっと、もっと・・・・・よかったのにな、ってことも思ったり。
(こう思う気持ちは、たぶん、ずっと消えないものかもしれません)
でも、自分が生きてる限り、自分の心の中で、ずっと生きててくれる
ということも、ようやく、何となく、分かる気がしてきました。
るっちゃん。
私に、いろんなことを、たくさん教えてくれて、どうもありがとう。
これからも、私の心の中で、ずっと、一緒に過ごしていこうね。
---------
↓は、2008年の3月の写真
(ルチ14歳のバースデー付近の写真です)
まだ、お世話の量が足りてないのか・・・
テテもキキも、少しは、カキカキさせてくれるようになったけど、
まだまだ、るっちゃんみたく、トロントロンに、とろける顔には
なってくれないけど、昨年より、少しは、進展ありかもよ(^^
よかったら、テテ&キキにも「カキカキは、気持ちいいっぴよ」
って、ことを、テレパシーとかで、伝えといてちょうだいね。
どうぞ、よろしく。
では、またね。
2010年2月4日木曜日
オスカーくんの話
20歳。
人間で言っても、節目の年齢ですが、それが、小型犬でいうと
本当に、ものすごい長さだったんだろうなぁって、思います。
これまで、ココにも書いたことはなかったのですが・・・
うちの実家の親戚のお宅に、オスカーくんという、ワンコがいて
るっちゃん同様、ご長寿動物として、親類の間では、有名でした。
お迎えになったのは、るっちゃんがくる、もっと前。
そう、今から、20年も、前の事でした。
余談ですが、その親戚のお宅は、歴代、ずっと動物がいて、
私が初めて、文鳥を知ったのも、手に乗せてもらったのも
そのお宅でのこと(セキセイも、十姉妹も、いました)
近所では、大型犬はいたものの、室内で飼う、小型犬が、
ちょうど、知られるようになったころだったと記憶してます。
そのお宅の事情もあってか、犬に詳しいという、別の親戚に言わせると
「オスカーが、I家の、リーダーだと思ってるんだよね。もっと
ちゃんとしつけたほうがいいよ」って、そんな意見もありましたが
(素人目の私から見ても、そうかもなぁって思う節もありましたが)
気づいてみたら、10年をすぎ、白内障にかかり、目が見えなくなり
耳が遠くなり、聞こえなくなり、晩年には、声も出なくなりましたが
(私や、知り合いが訪問すると、においや、舌ざわり等、くんくん&
ナメナメすることで、ちゃんと、識別&認識できていたようです)
20年、ちゃんとI家の主として(ほんとにそんなつもりだったと思う)
ちゃんとちゃんと生き抜いたことは、すごいことだったと思います。
死因は、老衰。
晩年は、ずっと栄養がとり辛くなっていたので、定期的に病院のお世話に
なっていましたが、本当に、天寿を全うできたからか、霊園にて、焼いた
お骨は、ほんとうに真っ白で、キレイな骨のまんまだったそうです。
霊園の方からも・・・
「ずいぶんかわいがられてたんでしょうね」って、声をかけられたそう。
生き抜いて、生き抜いて、限界まで、めいっぱい、生きてくれたことに
I家の皆さんも、そして、その話を聞かせてもらった、私も、感謝の
気持ち以外、なーんにもないけど・・・・
どういう気持ちで、ここまで生き抜いてくれたのか、話を聞けるなら
聞いてみたかったなぁって、ふと、そんなことを思ったりしてました。
るっちゃんのことも、歴代のインコちゃんのことも、そして、
亡くなった、祖父母たちのことも、いろいろ、思ったり。
オスカーくんは、唐津の海が好きだったそうで、お骨になったのち、
最後のドライブへと、連れて行ってあげたそうです。
冬の寒い海は、駆け回ってた頃の風景とは、違いすぎてたかもだけど
大好きな海を、最後に、もう一度みれて、ほんとうによかったね。
なくなった人も、動物も、思いがけない人とのご縁を、取り戻してくれたり
することがあると言いますが、オスカーくんの場合も、またしかり。
たくさんのエピソードの数だけ、時間と、思い出と、あるんだな
と、しみじみ思っているところです。
どのエピソードをとってみても、人が感動し、納得させてしまうほどですもの。
長く生きるって、いろいろ大変なことも増えるかもしれないけど
その分、たくさん思い出があって、教えてくれることも多いということ。
うちの、テテ&キキも、オスカーくんにならって、
ご長寿目指して、楽しんで生き抜いてほしいと思います。
最後に、ペロペロと私の膝をなめてくれたとき、とてもあたたかく、
私を、歓迎してくれてるのがわかり、うれしかったことを、昨日の
ことのように思い出されます。
オスカーくん、ほんとうに、たくさんの思い出をありがとう。
あなたにあえてよかった。心から、そう思ってます。
人間で言っても、節目の年齢ですが、それが、小型犬でいうと
本当に、ものすごい長さだったんだろうなぁって、思います。
これまで、ココにも書いたことはなかったのですが・・・
うちの実家の親戚のお宅に、オスカーくんという、ワンコがいて
るっちゃん同様、ご長寿動物として、親類の間では、有名でした。
お迎えになったのは、るっちゃんがくる、もっと前。
そう、今から、20年も、前の事でした。
余談ですが、その親戚のお宅は、歴代、ずっと動物がいて、
私が初めて、文鳥を知ったのも、手に乗せてもらったのも
そのお宅でのこと(セキセイも、十姉妹も、いました)
近所では、大型犬はいたものの、室内で飼う、小型犬が、
ちょうど、知られるようになったころだったと記憶してます。
そのお宅の事情もあってか、犬に詳しいという、別の親戚に言わせると
「オスカーが、I家の、リーダーだと思ってるんだよね。もっと
ちゃんとしつけたほうがいいよ」って、そんな意見もありましたが
(素人目の私から見ても、そうかもなぁって思う節もありましたが)
気づいてみたら、10年をすぎ、白内障にかかり、目が見えなくなり
耳が遠くなり、聞こえなくなり、晩年には、声も出なくなりましたが
(私や、知り合いが訪問すると、においや、舌ざわり等、くんくん&
ナメナメすることで、ちゃんと、識別&認識できていたようです)
20年、ちゃんとI家の主として(ほんとにそんなつもりだったと思う)
ちゃんとちゃんと生き抜いたことは、すごいことだったと思います。
死因は、老衰。
晩年は、ずっと栄養がとり辛くなっていたので、定期的に病院のお世話に
なっていましたが、本当に、天寿を全うできたからか、霊園にて、焼いた
お骨は、ほんとうに真っ白で、キレイな骨のまんまだったそうです。
霊園の方からも・・・
「ずいぶんかわいがられてたんでしょうね」って、声をかけられたそう。
生き抜いて、生き抜いて、限界まで、めいっぱい、生きてくれたことに
I家の皆さんも、そして、その話を聞かせてもらった、私も、感謝の
気持ち以外、なーんにもないけど・・・・
どういう気持ちで、ここまで生き抜いてくれたのか、話を聞けるなら
聞いてみたかったなぁって、ふと、そんなことを思ったりしてました。
るっちゃんのことも、歴代のインコちゃんのことも、そして、
亡くなった、祖父母たちのことも、いろいろ、思ったり。
オスカーくんは、唐津の海が好きだったそうで、お骨になったのち、
最後のドライブへと、連れて行ってあげたそうです。
冬の寒い海は、駆け回ってた頃の風景とは、違いすぎてたかもだけど
大好きな海を、最後に、もう一度みれて、ほんとうによかったね。
なくなった人も、動物も、思いがけない人とのご縁を、取り戻してくれたり
することがあると言いますが、オスカーくんの場合も、またしかり。
たくさんのエピソードの数だけ、時間と、思い出と、あるんだな
と、しみじみ思っているところです。
どのエピソードをとってみても、人が感動し、納得させてしまうほどですもの。
長く生きるって、いろいろ大変なことも増えるかもしれないけど
その分、たくさん思い出があって、教えてくれることも多いということ。
うちの、テテ&キキも、オスカーくんにならって、
ご長寿目指して、楽しんで生き抜いてほしいと思います。
最後に、ペロペロと私の膝をなめてくれたとき、とてもあたたかく、
私を、歓迎してくれてるのがわかり、うれしかったことを、昨日の
ことのように思い出されます。
オスカーくん、ほんとうに、たくさんの思い出をありがとう。
あなたにあえてよかった。心から、そう思ってます。
登録:
投稿 (Atom)