今日で、るっちゃんが、天国へ旅立って、2年になります。
生まれた日、お迎えした日、亡くなった日、など、いろんなメモリアルが
あると思うのですが、この日は、私たちの結婚記念日とは、半年ちがい、
私が、るっちゃんによく歌っていた曲にあったように、木曜日だった為
私の中では、るっちゃんのメモリアルの中でも、特別に何か意味が
ある日、というような気がするので、不思議なものです。
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なくなってから、数ヶ月は、頭のねじが、数本以上外れたままだったし
事実を、本当にありのまま受け止めるには、思った以上に、時間も必要
だったような気がするし、浮かんでは消え、消えては浮かぶ・・
いろんな、思いに、頭が、いっぱいいっぱいだった気がします。
それから2年。
るっちゃんが、その誕生を、待っててくれた(と私は思っているのですが)、
Kちゃんも2才になり、いろいろ知ってる単語で、話もできるようになり
(その「自己主張の様」が、どことなく、るっちゃんに似てるんだけど^^;)
テテも、キキも、そして、私たち人間も、それ分年をとりました。
2年って、長いな。すごい、時間だな。
というくらい、私の人生の中で、いろんなことを思った、単位でした。
今、いろいろな意味で、過渡期にあるような、気がしてます。
そういうとき、最近思うのは「事実は変えられないけど、それに対して
どう考えるかというのは、常に選択できる自由がある」ということ。
もちろん、反省ではなく、ただ、ひたすら、後悔にとらわれることもあります。
事実をねじまげて、憶測と、心配で、がんじがらめになることもあります。
と思えば、楽天的に考えすぎて、抜けだらけになってしまうこともあります。
でも・・・
るっちゃんと出会えて、そして、今、るっちゃんのことを思うとき、私自身、
明らかに「変わったな」と思えるところもあり(年をとったせいかもですが)
るっちゃんに教えてもらった、いろんなことが、今の私を支えてくれている
と思えるようになりました。
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宗教学の話みたいですが・・・
最近、シンクロするかのように、「肉体は滅びても精神は滅びぬ」的な話を
読む機会が続きました。実際のところ、死んだことがないので、真実はナゾ
ですが、以前のように「わからない」とだけ思うのではなく・・・
ある意味、遺伝子というレベルでは、子孫が続く限り、生き延びていける
という、そういう話から、魂というか、たとえ、人の記憶の中でだけで
あったとしても、私の中で、るっちゃんは、生き続けている・・
何だか、そう思えるようになってきました。
もちろん、科学的に言うと、ナンセンスな話かもしれません。
でも、何か、迷ったとき、心の中に聞ける人(人ではないにせよ)
そういうポジションとしては、いつも一緒にいる気すらするのです。
不思議だなぁ。何なんだろうな、と、ただただ、思ってみたり。
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こんなことを、つい、書いてしまったのも・・・
今、心配してることと、無関係ではないかもしれません。
昨日、休みをとってくれた、夫とともに、実家にある、るっちゃんのお墓に
参ってきました。いろいろと、神頼みならぬ、ルチ頼み、したいたいことが
あったのですが・・・私の中に、浮かんだことは、その心配事だけ。
ルチが、神様ではなく、ルチである以上、私の願いは、聞き届けるのではなく
ただただ「聞いてやってるっぴ」というだけかしれません。でも、私が
こういう気持ちで、お願いできるのは、るっちゃんだけだったので・・
つい、それだけを、願って、しまったのかな。
もし、そういう「ツテ」があるようなら、よかったら、神様に
よろしく伝えておいてね。と、いつもいつも、たずねてみたり
お願いしてばかりで、頼りない、元お世話係だけど・・・
いつの日か、また、私も、天国へいけるとしたら、特別カキカキを
ルチに、存分にさせてもらえる日を、楽しみにしています。
「お願い」の分は、そのときに、さらに弾みますので・・
どうぞ、よろしくね。
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何だか、いつもにまして、まとまらない文になりましたが・・・
こんなすみっこブログを、読んでくださってる皆様、ほんとうに
ありがとうございます。皆様の、来年が、よい年になりますよう
少し早いですが・・・
お祈り申し上げます。
では
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