実は、テテの調子が、あまりよくありません。
最初、テテの調子が悪いことを、とにかく、受け入れられませんでした。
頭が真っ白になりましたし、嘘だといいのにとも、思いました。
何か、策がないか、どうしたら、それを治せるのか?
それと同時に、もっと、早い段階で、気付いてあげられなかったなんて
と、たっていられないほど、自責の念にかられました。後悔しました。
------
選択肢として、手術をすることも候補に挙がりました。
手術と名が付く限り、基本的に100%保障というのは、ないと思います。
特に、相手が36gしかない(今は、もっと、少ないと思いますが)テテに
メスをいれるリスクを思うと、その後に、パーフェクトな世界が待ってる
可能性があるとしても、どうしても、それを決断できませんでした。
何か決めるときは、最悪のこと、最高のこと、そして、読みどおりのところ
何パターンか、シュミレーションしてみるのですが、今回、最高のことと
仮に、最悪のことの確率が同じだったとしても???
確率は、あくまで、確率でしかないこと。
今回、いちばん大切なのは、それが、テテにとって、どうなるのか
ということだけだったので、やはり、踏み切れなかったのです。
でも、最終手段として「手術が成功すれば、元気になれる(かも)」と
思ってしまうと、ほんとにこれでいいのか、と、さらに、悩みましたし
徐々に、衰弱していくであろう、テテを見守ることは、とても辛いこと
でもあるわけで、どうしたら、テテにとって、ベストなんだろう???
何だか、頭の中が、完全にパニックになってしまっていたのだと思います。
ですが、問題は、手術をするとか、しないとか、よりも・・・
もっと、根本にあったのでは。という、ことだったのです(と思うのです)
------
昨日、いつも言っている、鍼灸師さんのところに行く機会がありました。
ふと、とあることを思い出し、鍼灸師の先生に、テテのことを相談して
みました(相談というより、「聞いてもらえませんか?」と)
その鍼灸師の先生のお母様は、前に、全身のリンパ腫で亡くなられていた
らしいのですが、亡くなる前日まで、普通どおり生活されて、亡くなる時も
すとんと、眠るように逝かれたという話を、聞いていたからです。
先生は、テテのことを、一通り聞いたあと・・・
「人も、動物も、死のうとしてる人の邪魔をしたら、いかん」と一言。
先生に言わせると、本人が「生きたい」気持ちがあれば、それが勝ることも
十分あるけど、体が死に逝く時は、ゴハンが食べられなくなるし、それで
いいのだ。そこを、鎮痛剤、栄養剤で、ムリに生かせいてしまうので、
死のうとしても死に切れず、本当に苦しいまま、生きることになるんだ、と。
もちろん、これは、先生の意見です。
でも、これまでの周囲の人のこと、インコズたちのこと、いろんなことを
思い出してみて、何だか、私の中では、強く合点がいく気がして・・・
大泣きしてしまったのです。
--------
ルチも、一時期、痛み止めを飲んでいたことがあります。痛みを感じない
ことで、落ちていた食欲が戻り、結果、回復しましたので、その利用が
すべてダメだとは思いませんが、リューマチめいた症状の緩和の為の処方
でしたが、ある日、飲むのを激しく拒否するようになりました。
もう、痛みがなくなっていたというのは、ある意味、正解ですが、痛いと
思われていた、箇所が、完全に、麻痺していたからだったようです。
(痛い感触とともに、その場をかばうということをしてたようですが
痛みを感じないことで、体力を戻し、結果、その箇所を知らずに酷使
その足の一部の神経だけ、死に至らせた、ということかもしれません)
ルチの場合、それを超えてもらえたから、そこから、二年近くも
生きてくれたわけですが、自分の祖父母のことを思い出しても
終期医療、緩和ケア、よかれと思って、何より生きてて欲しいと家族が
思うことは、しごく当然のことだけど、それだけが正しいわけでは
ないかもしれない、などということも、深く考えさせられたのです)
-----
話は、ちと、脱線しましたが・・・
現在の医学のよって、生きようという選択肢を、サポートしてくれる方法が
たくさん選べるようになりました。昔なら、助からないといわれた命ですら、
助かるようになりました。
そのすべてが、ダメだとか、いけないとか、そうは、全く思いませんが
先生が言ってるように、本当は、人が死ぬ時は、病死でも、老衰でも、事故でも
あるタイミングまでのケアは、してもらえるにこしたことはないけど、そこから
先の「生かすだけ=死なないだけ、という医療」は、必要なのか?と思ったり。
鎮痛剤も、痛みだけ、麻痺させてても、衰え行く体とのバランスを崩すから
ほんとは、ぜんぜん、飲まないほうが、実は、いちばん楽に逝けるんだよ
というのが、すごく耳に残っているのですが・・・
最後に「Kannaさんが、自分たちでできることを、めいっぱいして、
そして、あなたたちの手の中で、逝かせてあげられたらいいんじゃない?」
と言ってもらって、さらに、号泣してしまったのでありました。
万が一、手術をするために、私たちから隔離され、そこで、死んでしまったと
したら、テテも、私たちも、ずっとずっと後悔することになると思うので。
--------
本当のところで、テテが、今の状況をどうとらえているのかは、分かりません。
体はだるいでしょうし、ごはんも、食べれなくなりつつあることを、テテなりに
「異変」として、感じてないわけはないと思うし、自分の中では、残された時間
を、どこかで、わかっているのかもしれない、とすら、思うこともあります。
でも、私たちが、テテと一緒にいられる時間を、大切に大切に過ごすと決意を
新たにして以降、テテは、とても、穏やかで、嬉しそうな顔をしています。
テテのあと、キキがやってきて、Kちゃんが生まれて・・・
毎日、毎日、お祭りのように、バタバタと、うるさい毎日を、テテなりに
楽しんでくれてる(面もある)と、思ってはいましたが、もともとは、
一人っ子のテテですもの。もっと、もっと、甘えたかったかもしれないし
今は、特別待遇で、時間みては、私や夫が、いそいそとやってくるので
何より、その気持ちが、ストレートに嬉しく思ってくれてるのかもしれません。
テテちゃん、これまで、それ以前のように、ずっと一緒にいてあげられなくて
それを、サポートできてなくて、本当にごめんなさい。
ということと・・・
何より、毎日、テテが元気に、ニコニコして、私たちをみつめてくれることが
こんなにも幸せで、嬉しいことだったなんて。改めて、テテに感謝しています。
あとどのくらい、一緒にいれるかは、わかりません。
でも、テテがしたいようにしてくれればいいと思っています。
私たちは、テテから、もう、一生分以上に余りあるくらい、テテがいる
ことで、嬉しく思うことの、プレゼントはいただいてるのですから。
それから、もう少し、できれば、もっと長く(←本音)私たちと
一緒にいさせてくれるなら、もっともっと嬉しいのですが・・・
一日、一時間、一分が、とてもいとおしいです。
ほんと、うちの子になってくれて、ありがとう。
0 件のコメント:
コメントを投稿